昔話:全身麻酔中はマニュアル換気

私が、麻酔科医に成りたての頃、まだ大学病院といえども、手術室に配備された全ての麻酔器が、換気装置を内蔵しているわけではなかった。

また、研修医になったばかりの頃は、麻酔器内臓の換気装置を利用していると、先輩の麻酔科医からは、「ベンチレータを使うなんぞ、まだ早い! 3ヶ月は手揉みだ。手でバッグを揉んでこそ、患者さんの呼吸状態が分かるんだ。」と言われたものだ。

換気装置が内蔵されていない麻酔器が配置された部屋では、できるだけ手術はしないような努力は払われていたであろうが、手術件数が多い日にはそういった部屋でも全身麻酔の必要な手術を施行せざるを得なかった。

前日に翌日の手術予定表を確認して、換気装置が内蔵されていない麻酔器が配置された手術室での麻酔の担当を割り当てられている場合は、当日は通常よりも早く出勤した。その目的は、麻酔器に外付けで接続できるガス圧駆動式の「オハイオ・ベンチレータ」を麻酔準備室から当該手術室に搬入することであった。

ところが、いつもオハイオ・ベンチレータを獲得できるとは限らなかった。自分よりも早く出勤した、別の研修医に、先にベンチレータを確保されてしまっていることもあった。こんな時は、「くっそー!、〇〇さんに先を越されてしまった!」と嘆くのであった。

毎朝のように、麻酔準備室を舞台とした「オハイオ・ベンチレータ」の争奪合戦が繰り広げられていたのだ。

全身麻酔時の良き伴侶である「オハイオ君」を相棒にできなかった日は、担当する手術が 3 時間であれ、5 時間であれ、術中は、ずっと手揉みの全身麻酔をせざるを得なかった。

右手には麻酔バッグ、左手は水銀血圧計の加圧バルブ、耳には心音と呼吸音を聴取するための胸壁聴診器、少なくとも 5 分毎には、水銀血圧計で血圧を測定して、素早くボールペンで麻酔記録に測定結果を記入する。

酸素飽和度モニターもカプノメータもなく、酸素化の低下は術野の血液の色の悪さで察知し、呼吸状態の不具合は、聴診上の呼吸音の変化と麻酔バッグの感触が頼りだった。

目は術野と心電図モニター、麻酔バッグの加圧に同期した胸部上下運動を監視していた。

麻酔バッグの動きで呼吸運動の出現を察知して、筋弛緩薬が切れてきたのか、もしくは換気量不足のために二酸化炭素が貯留してきたのか、血圧の動きとを考え併せて、換気量を増やすのか、筋弛緩薬を追加するのが適当なのかを判断していた。

それが、当時の麻酔維持中の麻酔科医の姿だった。

ところが、今はどうだろうか? すべてが自動化されている。麻酔器には、当たり前のように換気装置が内蔵されて、手動換気は、麻酔導入の時だけだ。

心電図モニターは生体監視モニターへと進化して、自動血圧計ばかりか、当たり前のように、パルスオキシメータとカプノメータを内蔵し、酸素飽和度と呼気終末炭酸ガス濃度に加えて、揮発性麻酔薬の吸気と呼気の濃度まで表示してくれている。

麻酔記録も、紙ではなくて、電子麻酔記録がモニターから出力されたデータを自動的に麻酔チャートにプロットしてくれている。さらには、静脈麻酔薬の血中と効果部位濃度シミュレータまで内蔵しており、薬物の追加タイミングを教えてくれる。

人間の感覚はいくら頑張って磨いても限度がある。それに比べると、機械は人間の感覚よりもはるかに正確で、早期に異常を察知してアラームを発してくれる。

現代の麻酔科医は、昔の麻酔科医に比べると格段に恵まれているを言えるだろう。だが、そのような麻酔を補助してくれている種々の機械についても十分理解して応用しないと、落とし穴に陥ることもある。

麻酔補助機器への十分な理解とともに、麻酔科医としての異常を嗅ぎ分ける鋭い感覚は、今でも必要なことに変わりはないのだろう。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

面白い

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック